top of page

POST        by TAKAHIKO(前田隆彦)

精密機械の始まり
精密機械の最初の音源として、1979年4月15日の練習用テープ(5曲、約40分)が現存している。
私が精密機械結成以前に参加していたバベル:芭辺留(竹谷亮:ヴォーカル&ベース、深尾彰:ドラムス、前田隆彦:ギター&ヴォーカル)の音源として1978年の1月のものまで残っていることから、おそらく精密機械の結成は1978年後半~1979年初旬ではないかと思う。
バベルのリーダーは年長でベースの竹谷君。ドラムスの深尾君も含めて技術的には素晴らしい先輩であったが、バンドの曲作りがメジャー志向で、ラブソングが多かった。私が自作した変拍子や10分程度の暗鬱な曲との相性があまりにも悪く、結局脱退することになった。


精密機械の出会いはいずれかのメンバーによる音楽雑誌のメンバー募集への投稿がきっかけだったと思う。それが当時としてはごく一般的な方法だった。中嶋正彦と豊久兄弟は当時「生と死」というバンドのドラムスとベースであった。初めての顔合わせは中嶋兄弟の地元にある廃校での音出しであった。3人の共通点はハードロック好きであることぐらいだったが、不思議と波長が合い、そこから毎週末、音合わせや曲作りが始まった。
なお、バンド名は皮肉と警鐘である。人は精密でも機械でもない。

アルバムについて
初期はライブバンドとして、アドリブの多い一期一会の演奏が中心だったが、1982年頃に作り始めた楽曲では、キーボードや複数のギター音が鳴らせない歯痒さを感じ始めていた。かといって、自分たちに合う新しいキーボード奏者や、意気投合するギタリストを探してメンバーに加えることは、毛頭考えられなかった。

また、スタジオ録音自体にも興味を持ち始めていた。
ちょうどその頃にsound Rという元町のスタジオが100万円でLP制作とのキャンペーンをしてることを知った。また、神戸大学六甲台講堂で毎年開催されるRock in Rokko の主催団体、Free Allの川崎さんがディレクターをしてくれるとの申し出もあり、アルバムを録音することとなった。キーボードについてはライブで知り合った変身キリンの須山公美子さんに頼んだ。
スタジオ使用時間は制限があったと思うが、結果的には全くそれを無視して録音・編集をしてもらった。もちろん録音はデジタルではない。多分16トラック(または8トラック)のテープだった。ミキサーはスタジオの谷川さんが担当した。
ジャケットデザインについては、スタジオの並びにあった輸入文具店ONE WAYのマスターにお願いした。名前は失念したが、確か川崎さんの知人だったと思う。この店は2015年頃には現存していて、その時にマスターと話をした記憶があるが、その数年後訪れた時は、店はなくなっていた。また、神戸元町や芦屋辺りでジャケット・ポスター用の写真を撮ったが、カメラマンが誰だったか全く記憶がない。

 

アルバム曲について

 

WaltzⅠ

アルバムの最初と最後に収められたWaltzⅠとWaltzⅡが、このアルバムがコンセプトアルバムであることを示している。この2つの曲はメロディー、リズム共に同じだがアレンジは全く異なる。そしてこのⅠは重低音の打撃音から始まる。ドスン、ドスンというこの音が、町が都市に変わる、そして新しい都市に変容する音に感じられる。なおこの音を録るために様々なものを試した。イメージに最も近い音になったのは、バスタムをローチューニングしたものだった。そしてこの音にアカペラの歌が絡んでくることで、初めてタイトルであるワルツのリズムであることに気づくだろう。さらにベースやギター、ハイハットの音が重ねられてくる。いわゆる壁塗りだ。最後は潮が引くように音が減っていき、打撃音と金属的なハイハットの音だけが残る。

~機械的な音が心を蝕み、自他の存在すらも危うくなる。そして、答えのない問いを繰り返し続ける機械に自分自身が重なる~

 

新時代

“時代”という曲を作った。1980年頃である。レゲエっぽい裏打ちのリズムギターから始まる曲である。その時に感じていた時代の危うさを曲にした。新時代はその曲の続編である。今こうやって改めて聞いてみると、再生を望んでいたように感じる。“殺人機械”という曲を演ってた時期もある。破壊し全てを一からやり直すことを歌った。この曲でも人が絶滅することで本物になるとしている。

また、言葉遊びを楽しんでいる。3回登場する「すべて」「もの」「かわる」の漢字がすべて異なる。ライブでは表現できない手法だ。

 

劇場

ベースのTOYOHISAの作品である。彼のベースは金属的で重たい。そして何よりメロディアスである。この曲でもベースにマッチアップして自然と浮かんだ旋律で歌が作られた。トリオ編成なので、常にベースが曲の根幹を担っている。歌詞については今まで意味を理解しようとしたことがなかった。言葉の意味、響き、感覚で歌った。今あらためてじっくり読み返すとこれは自分たち自身のこと歌っているのかもしれない。当時ライブでは人形を抱いて登場し、マイクスタンドにその人形を飾ってライブを行っていた。破壊的な歌詞、演奏、指で弦をかき鳴らし、指から血を流しながら演奏したこともあった。そして最後はギターをステージに放り捨ててステージを後にした。そんな自分たちのことを歌詞にしたのかなと今頃になって感じている。

 

君は知っている

ピンクフロイドが好きだ。当時はネットが無いので、多分深夜放送か雑誌の情報だと思うがピンクフロイドが気に入って購入し、録音に使った日本の風鈴のことを知っていた。それは火箸でできており、明珍というブランドだ。この明珍火鉢の風鈴を元町商店街の金物屋で見つけ、この曲の最初と最後に使用した。きれいな響きを録るのに苦労した。スタジオ内で録りエコーをかけるより、自然な響きにこだわった。当時のsound Rは地下にあり、その地下へのコンクリート階段で録音を試したことを覚えている。それを採用したかどうかは定かでない。

この曲は風鈴の音とアカペラで始まる。今思えばWaltzⅠと同じテイストだ。

MASAHIKOのドラムは何時もタイトだ。この曲を歌っていていつも気持ちいい箇所があった。3番の“金の方が大事だって”の「だって」がバスドラにピッタリなのだ。このことについて話したことはないが、きっと意識して合わせてくれていたのだと思う。

歯車
“君は知っている“にしてもこの曲にしても、静かに始まり、荒々しく盛り上がり、静かに終わる。

宇宙にソラと仮名を付けたことをディレクターの川崎さんに感心されたのは意外だった。人は努力したことを頬められず、何気ないことが褒められる。そういうものだ。
最終盤のギター録りに苦労した。ライブでは感情をギターにぶつけることは当たり前にできていたつもりだった。 特に最初期の“自由への束縛”、という曲の最後は、ギターだけではなく、リズム隊も砕け散り、3人ともが感情だけで演奏した。また、曲によっては、体当たりが曲のタイミングになっていた。しかし、スタジオ録音では気持ちのコントロールが難しい。解放できない部分が残る。何度も録り直しをした。今ならデジタルで良いとこ取りができるのかもしれないが、それはない。最後の数音は今でも後悔が残っている。
感情と理性のバランスが難しい。うまく折り合いが付けられない。結局およそ50年たっても同じだ。いつまでも“光になって宇宙を飛べない”自分がいる。

Lunar Song(少女)
この曲は元々、満月の夜に入水自殺する少女をイメージした8分程度の歌詞のある長い曲だった。アルバムに収録した曲は、当時作っていた曲のうち、この曲はスタジオ録音向きだと感じた曲を選曲した。だが、この曲はライブで演奏していた曲の間奏部分だけを1曲にまとめたものだ。だから歌詞がない。だからこそ、ギターを数本重ね、ライブでは実現しえないアレンジにした。ドラムもエコーを利かせて、ドシン、ドシンとしたイメージ通りの音になった。この曲でもわかるように、精密機械の曲は常にベースが主旋律のような曲作りになっている。
録音時にミキサーの谷川さんにギターの音をどんな音にしたいか聞かれて、ディブギルモアのエコーが効いた艶のある音と、ロリーギャラガーのブルージーで擦れた音と、ジミヘンのファジーで力の籠った音が好きだと伝えたら、バラバラだと言われたことを覚えている。でも結果的に自分のイメージ通りの音に録音できたと思う。

聖夜
どの曲もクリック音だけはヘッドホーンで聞きながら録音した。だが、この曲はリズム・テンポともそれに合わないことは分かっていた。だからクリック音無しでの録音となった。曲のつなぎ目は間である。テンポも感覚である。だからある意味日本的だ。今の若い人にとっては気持ち悪く聞こえるかもしれない。
子供が未来を作ることは間違いない。自分はとっくに閉じ込められる側になった。この曲だけはこのアルバムの中で、少しだが未来と光が感じられる曲になっていると思う。ラストの須山さんのキーボードには、オルゴールのイメージを依頼した。
最後の掛け合いの歌声はどちらも私の重ね録りだ。

WaltzⅡ
リフレインとしてこの曲が収められている。伴奏は初めて登場する無名の12,000円のアコースティックギターのみ。弾き語りでの録音を希望したが演奏力がおぼつかず断念。別録りとなりタイミングが難しかった。
歌詞にあるように自分たちだけの為にこのアルバムを作った。だから人には何も期待しない。だからすべてが「無」。
WaltzⅠの「心」に対してWaltzⅡは「こころ」としたのは、少しだけ優しさや希望を感じたかったからかも。

最後に
曲間の無音時間のコンマ秒数にもこだわった。「劇場」や「聖夜」の最後の音をどこで止めるか、音を聞きながらディレクターの川崎さんと「せーの」で「ここ」と指示するとピッタリ同じだった。

フェーダーを自分で操作してフェードアウトを決めた。


もしこのアルバムを聞いて頂けるなら、出来るだけ大きな音で聞いて欲しい。

そうすればきっとあなたの心にも1983年の空気と思いが届くハズ。


最後まで読んでくれてありがとう。


           TAKAHIKO (前田隆彦)

bottom of page